ネズミーランドとハロウィン

selmani2008-09-15


この三連休は知り合いの外人の友達が来たとかで、
ネズミーランド行ったり、
都内でプラプラしたり、
田舎へドライブしたりと中々のハードスケジュール。


さて、おいら、ネズミーランドなんで20年前に行ったきり、
行ったことないんだけども、
なにやら偶々ハロウィンの時期で、
特別デコレーションがどうとかで、
朝から夜まではしゃいで帰ってきたんだけども、
いまいちハロウィンってものをわかってない。

ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。601年に法王1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさい。と広めなさい」と言ったのがいまのハロウィンになったきっかけでもある。

家族の墓地にお参りし、そこで蝋燭をつけるという地方もある。墓地全体が、大きなランタンのように明々と輝く。日本のお盆の迎え火、送り火にも似ているかもしれない。ただ、これに合わせて欧米では、放火事件などが頻発する。

これに因み、31日の夜、カブをくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」(お化け蕪)を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が「トリック・オア・トリート(Trick or treat. お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねる。家庭では、蕪の菓子を作り、子供達は貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

で、ジャック・オー・ランタンというかぼちゃのお化けはなんなんだ?という話なんだけども、

ジャックランタン(Jack-o'-Lantern ジャック・オ・ランターン)は、イングランドに伝わる鬼火のような存在。名前は"ランタン持ちの男"の意。普通の火の玉の姿の他、光る衣装を身に纏うカボチャ頭の男の姿であらわれる事もある。

生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が、死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にしたカブのランタンを、片手に彷徨っている姿だとされている(→ウィルオウィスプ)。また、悪賢い農夫が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国への入園を拒否され悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブに憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だともされている。

この話がアメリカに伝わったのち、カブのランタンは、カボチャのランタンに変化して現在に至っている。この他、毎年10月31日のハロウィンの日に作るカボチャのロウソク立てをジャックランタンと呼び、善霊を引き寄せ、悪霊達を遠ざける効果があるといわれている。

旅人を迷わせずに道案内をする事もあるという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3

とりあえず、おいらは神道なんで、キリスト教の祭りになんかさほど興味がないということで、
かぼちゃは節分の豆みたいなもんだということでよいかと。

でも、かぼちゃのスティッチはかわいい^^

そういえば、アフロのジャック・オー・ランタンをどこかでみたなぁ ̄m ̄

志村けんの息子でキレンジャー

カレー週間


実は1週間ばかり国外逃亡してて、そこはかとなくブログからも離れていたわけだけども、
ココ最近日常に復帰。
まぁ また今月末国外逃亡する予定ではあるんだけども・・・^^;A


そんな帰国後、最初の週末はってーと、急遽入った飲み会で、
ジェンガテキーラ4杯飲まされた事を除けば、
平穏な週末。


久々の何もない週末って事で、
掃除するつもりが、気づいたらカレーつくりに励んでたわけで、
部屋は片付かないけども、鍋一杯のカレーが出来て、
必然的に今週はカレー週間

今日のお昼もカレー食ったぞ〜!!

と猛ってみたところで明日のお昼も100%ほぼカレー ̄0 ̄;


ってことで、「今週のおいらはキレンジャー」って思っていたら、
どうやらおいらはおいらは元々キレンジャーだってさ

ゴレンジャー占い

selmaniはキレンジャー なのである。

  • キレンジャーさんは、ちょっぴり頑固で、とても意志の強い人。いったん決めたことは、最後までやり遂げなければ気がすまないタイプでしょう。カレーを食べている途中でどんな事件が起こっても、自分の中から困難を乗り越える力と勇気を引き出し、食べきるまで頑張り抜きます。その執念はもはや感心してしまうくらいなのですが、世界平和よりも自分の食欲を優先しようとするのはちょっと考えもの。時には周囲の意見やアドバイスにも、耳を傾けてみて下さい。あなたのために言ってくれている言葉を、真摯に受け止めることができれば、あなたはさらに輝くことができるでしょう。恋愛面でも、あなた一人がどんどんリードするよりは、二人の希望を確認しながら進んでみて。誰だっていつもカレーじゃ飽きてしまいますよ。
  • selmaniさんの本当の父親は、志村けんです!

ビリーの背中にやられちゃいな

Billy Elliot


昨日、なにやら昔のダンスのこと書いてたら、
頭の中でピアソラが流れ続けて、辛抱たまらない勃起状態になってるんで、
ここはダンスから現実社会へソフトランディングさせなければと思い立ち、思い出したのが、
リトル・ダンサー

リトル・ダンサー


おいら、ダンス好きだったこともあり、
ダンス映画もよく見たんだけども、
その中で一番気に入ってるのがこの映画だな。


おいらこの映画でいくつかお気に入りのシーンがあるんだけど、
一番印象的なのは、ラストシーンの白鳥の湖の舞台袖のシーン。


当時、おいらダンスやってた関係でちょっとした背中フェチで、
ビリーがTシャツを脱いだ時に映しだされる背中にゾクゾクした(勃起はしてない)もんだ。


何にしてもそうだが、ある1つの目的のために鍛え上げられたもののがかもし出す美しさってのは、
なんともいえない。


どうやら澱んでたらしい美しもの好きのあの人も、この背中に、勃起してやられてしまえばいいとおもうよ


ピアソラとルッカ・バリッチ

たんごら


つい先日、カリとか、スマとか呼ばれている腐れ縁のあやつに、
おいらとモトコ嬢がラブラブ過ぎて、コメントが書きづらいとかいわれやした。
(ついでにモトコ嬢の前の会社のサッカー得意な男前な旦那を持つAさんから、ローヌA子に続いて、おいらお気に入りの美人社員のNさんまでいなくなると聞いてショック大キチ!)



そんな話はともかく、そのモトコ嬢のところでピアソラねたを見た、聞いた。



実は、おいら、十年ほど前にBallroom Danceなんて物を興じており、
細いけど逆三角形のスタイル抜群な好青年として、
日々ダンスに明け暮れていた時期があったり。



で、Ballroomダンスには、ラテンとモダンってのがあり、
おいら、モダンに向いた体型といわれながら、性格的にラテンしか受け付けなかったんで、
ラテンばかりやってたんだけど、唯一好きなモダンが「タンゴ」。



タンゴ好きから、ピアソラと流れ着いたわけなんだが、
ちょうどその時期に活躍していたルッカ・バリッチのタンゴがやっぱり一番好きだなぁ

こんな風にタンゴを解釈するダンサーってのは、当時いなかったと思うんだけど、今はどうなんだろ?



Luca and Lorraine Barrichi International Standard Tango WSS

ビクトル・ビリャダンゴス(ギター) - OTTAVA『新世界クラシック』- ラテン・アメリカ - - A.ピアソラ:リベルタンゴ

「これでいいのだ」と涙する

これでいいのだ



「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義

http://www.sanspo.com/geino/news/080807/gnj0808071158018-n1.htm

浴衣着てもやるこた一緒

浴衣


金曜日は外人がやたら一杯の秘密の住処で夏祭りがあるとか何とかで、
selmaniさんも是非きてねというお誘いがあったんで、
浴衣きて盆ダンスに出かけたわけなんだけども、


その後はA嬢よろしく、朝まで飲んだくれてたわけで、
ハレの日でもやることはケの日となんもかわらない週末でやした・・・orz


で、久々に浴衣なんてものを着てみたんだけど、
帯を結ぶのに悪戦苦闘 ̄0 ̄;
当初は、30分前につく予定が、1時間ばかり遅刻したんだけども、
それはそういうことです^^;A


ただ浴衣好きの外人さんには、様々な国の言葉で、
(帯の結び目が)綺麗とか、カッコいいとか、
いわれたんで、1人で悪戦苦闘した甲斐があったというもんです



ちなみにこれは浪人結びって奴で、
おいらこの結び方しか知らないんだけど、
美男で一世を風靡した名優・故長谷川一夫が、時代劇で結んだのが最初とかなんとからしいです。

リトル・ダンサー


で、ようつべに男結び(貝の口)の結び方を説明している動画があったんで、
夏ももう残り少ないですけど、男の帯の締め方が判らないって人は参考にしてみるとよいかと


ちなみに、外人さんはこっちらで w